日本未来学会30周年記念シンポジウム
◆「人類の未来」- Future of Mankind -◆
日本未来学会30周年記念シンポジウム 「人類の未来」の記録です。
当日の模様は、99年4月 NHK教育テレビ 「金曜フォーラム」にて放映されました。
(テーマ主旨)
遥かなる過去から遠い未来まで時の流れは悠久である。その流れの中を人類はすぐれて未来を考える生物として生きつづけてきた。人類にとって未来は常に可能性を約束した。その可能性に人類は挑みつづけてきた。自らを取り巻く自然を変え、環境をつくってきた生物、それが人類であった。その足跡はとりもなおさず人類の歴史であり、その結果をわれわれは文明と呼ぶ。(日本未来学会設立趣意書)
そのような文明の主役である人類にも、一つの転機が訪れつつあるような予感がする。寿命と人口はその外殻を構成する。思えば過去数十年の間、医療衛生の進歩もあって、少なくとも先進諸国では人生80年が当たり前となった。歴史的には驚異的な長寿である。一方で、途上国を中心とした人口爆発は尚止まることを知らず、地球人口は百億人に達せんとする勢いである。ここで数十年とは、人類文明5000年の歴史から見れば瞬時である。
そしていま、われわれの予想を遥かに上回るスピードで進歩する高度情報化の行く末には、コンピュータが脳化する可能性が指摘されている。クローン人間誕生の可能性は、生命の神秘を越えて直視すべき現実の問題となっている。人類が永く抱いてきた大空への憧れは、いま宇宙という新たな活動空間の獲得へと結実しつつある。一方で、地球環境問題は人類の未来に重苦しさを投影させている。人類の未来にはさまざまな可能性と断面が交錯する。もはや人類にとって未来とは、決して約束されたものではないことを、胸にとめておいてよい。
時あたかも20世紀も終焉間近、新たな千世紀の扉を開かんとするこのごろ、一回り大きな時間スケールで自らを見つめ直し、人類の有り様を捉え、考える時機を迎えつつあるのではないだろうか。今年は日本未来学会の設立から30年の年でもある。本シンポジウムでは日本未来学研究の基本に立ち返って、人類の未来について多面的な考察を加えるなかで、次なる人類文明へのいくつかの展望を提示していきたい。
・ 日時 1998年11月30日(月)
・ 会場 有楽町朝日ホール
・ 主催 日本未来学会
・ 協賛 株式会社ソリトンシステムズ
・ 後援 朝日新聞社
◇プログラム◇
(第一部:30周年記念式及び記念講演)
10:30 開会挨拶 林 雄二郎 (日本未来学会会長)
11:00 記念講演
「人類の未来」 梅棹 忠夫
聞き手 高田 宏
(第二部:パネルディスカッション)
13:30 The White House - Millennium ProgramでのDr.Hawkingによる未来観。
(NHK News版のビデオ上映)
テーマ 「人類の近未来・中未来・遠未来」
(パネリスト)
(コーディネーター)
16:30 総括及び閉会挨拶 加藤 秀俊 (日本未来学会理事長)
(進行) 長谷川 文雄
(第三部:懇親パーティー)
17:30〜19:00
◎講演者・聞き手、プロフィール◎
1920年 京都市生まれ。京都大学理学部卒業。理学博士。
京都大学教授、国立民族博物館館長をへて、1993年から同館顧問。専攻は民俗学、比較文明学。
世界各地の探検や調査をもとに、幅ひろく文明論を展開する。文化勲章受賞。
主著に『文明の生態史観』『情報の文明学』『日本とは何か--近代日本文明の形成と発展』など、いずれも「梅棹忠夫著作集」(全22巻別巻1)に収録されている。
1932年 京都市生まれ、のち石川で育つ。京都大学文学部(仏文)卒業。光文社、アジア経済研究所、エッソ石油で諸雑誌を編集。1984年より文筆専業。
1978年『言葉の海へ』で大佛次郎賞と亀井勝一郎賞を、1990年『木に会う』で読売文学賞を受賞。他に雪国文化賞、旅の文化賞などを受けている。
主な著書に、『われ山に帰る』『雪古九谷』『子供誌』『荒ぶる自然』『島焼け』などがある。
◎パネリスト・コーディネーター紹介◎
1932年 台北市生まれ。電気通信大学卒業。カリフォルニア州立大学大学院(バークレー)にて工学修士、東京大学より工学博士を授与された。
現在、電気通信大学名誉教授、英国クランフォード大学日本センター代表・学長特別顧問、財団法人国際AI財団副理事長、社団法人未踏科学技術協会理事、内閣官房政策科学委員会委員、大蔵省金融制度調査会専門委員などを兼ねる。
最近の著書:『エコパラダイムの時代−自然と人間の共生をめぐって』『活学の達人−本田宗一郎との対話』等。
1976年 米国パターン認識学会賞。1981年 叙勲イタリア共和国功労勲章。
1929年 東京生まれ。東京芸術大学美術学部図案科卒業。1957年 GKインダストリアルデザイン研究所設立、所長となる。1989年 世界デザイン博覧会総合プロデューサー等々。
現在、株式会社GKデザイン機構取締役会長他 GKデザイングループ代表、国際インダストリアルデザイン団体協議会(ICSID)名誉顧問、財団法人国際デザイン交流協会理事、文化庁国民文化祭企画委員等。
ICSIDコーリン・キング賞、藍綬褒賞受賞等。
著書に『道具考』『幕の内弁当の美学』『仏壇と自動車』『モノと日本人』『人の心とものの世界』等。
1920年 三重県生まれ。京都帝国大学文学部史学科地理専攻卒業。
1961年 東京工業大学理工学部教授。1969年 移動大学代表、KJ法本部・川喜田研究所所長。1974年ヒマラヤ技術協力会代表理事長、東京工業大学名誉教授。1976年「中部ネパールヒマラヤにおける諸文化の垂直構造」により学位(理学博士)取得。
1978年 秩父宮記念学術賞受賞。同年ネパール国のビキヤット・トリシャクティ・パッタ三等勲章受賞。1984年 フィリピンのマグサイサイ賞受賞。1993年 福岡アジア文化賞受賞。1994年 勲三等瑞宝賞受賞。
社団法人日本ネパール協会元会長、日本創造学会名誉会長、社団法人日本山岳名誉会員。
主要著書:『パーティ学』『創造と伝統』。
1928年 福岡県生まれ。早稲田大学工学部建築学科卒業。1953年 菊竹建築設計事務所設立。1958年より海上都市を提唱。1968年 21世紀のスコーレ社会の未来像研究(内閣官房)委員。1971年 アメリカ建築家協会特別名誉会員。1972年日本列島改造問題研究会委員。1985年日本未来学会理事。1988年 国際建築アカデミーアカデミシャン。1998年 日本建築士会連合会会長、ハイパービルディング研究会会長。
主な受賞:1964年 第7回汎太平洋賞(A.I.A.)、第14回芸術選奨文部大臣賞(文部省)、第15回日本建築学会賞(日本建築学会)。1978年 第8回オーギュスト・ペレー国際建築賞(U.I.A.)。
主な作品:北九州メディアドーム(1998)、東京都江戸博物館(1993)、アクアポリス(1975)、出雲大社庁の舎(1963)、スカイハウス(1958)。
1931年 大阪市生まれ。京都大学イタリア文学卒業。
経済誌「アトム」記者、漫才台本作家などを経て、1961年『地には平和を』でSFコンテスト選外努力賞受賞。1963年「お茶漬けの味」がSFコンテスト第二席(第一席は該当作なし)。SF作家クラブ発足当初から参加。1973年発表の『日本沈没』で第27回日本推理作家協会賞受賞、 400万部を超えるベストセラーとなる。
人類文明を一貫したテーマに置き、執筆活動以外にも、EXPO'70テーマ館サブプロデューサー、EXPO'90総合プロデューサー等をつとめる。
著書:『日本アパッチ族』『果てしなき流れの果てに』『継ぐのは誰か』『エスパイ』『復活の日』『さよならジュピター』『首都消失』(第6回SF大賞)『虚無回廊』『ゴルディアスの結び目』『歴史と文明の旅』ほか多数。
1920年 鳥取県生まれ。東京帝国大学工学部航空学科(機体専修)卒業。1942〜45年 海軍航空技術廠飛行機部に勤務。1946年 朝日新聞社に入社(大阪本社に勤務)。1965年 安全保証問題調査会研究員。1967年 編集委員。1968年 論説委員。1977年 調査研究質長兼論説委員、論説主幹。1983年 論説顧問。1985年 朝日新聞社退社、財団法人日本総合研究所会長。1990年財団法人日本総合研究所名誉会長。
主要著書:『技術文明の再点検』『新文明論』『日本の将来を読む』『日本の成熟と未成熟』『交渉力の研究』『情報化新時代』『技術文明論−21世紀へのメッセージ』『新・電気文明の展望』『平和国家日本の原子力』『近未来技術情報』等。
1948年 東京生まれ。電気通信大学大学院終了後、清水建設入社。その後、総合研究開発機構、マサチューセッツ工科大学建築都市研究所客員研究員を経て、東京大学先端科学技術研究センター都市開発工学助教授。
現在、東北芸術工科大学副学長、デザイン工学部教授。工学博士。専門はシステム工学、都市情報学。
主な著書に『インテリジェントシティ東京の5年後』『技術大国米国の読み方』『定住を超えてマルチハビテーションへの招待』等。
地域情報会議議長、郵政省郵政研究所客員研究官などを併任。